求められる首長像
かつては「夜逃げの町」「人の住めない町」と言われた過疎の町、宮崎県綾町ー昭和41年、町長になったばかりの郷田實さんは、自然林伐採の計画を持ち込まれ、短期的な伐採・植林による雇用効果を選ぶか、長期的な自然保存を選ぶかを迫られます。郷田さんは、世界一の歩道吊橋をつくり、保存による照葉樹林都市を目指すことを選択し、結果、年間120万人を集めるようになります。農業は「一坪菜園運動」でまずは自給自足、そして残りをよその町に売る、それもほかとの差別化のために当時では珍しい有機野菜をまちを挙げて作らせる、山からの名水は雲海酒造を町に呼び込みます。
さらに、住民の過剰な寄りかかりをニーズとして応えることが本当に住民のためになるのかと疑問を持った郷田さんは自治公民館運動を展開し、地域のことは地域で決める全員参加のまちづくりに向かわせました。たとえば、道路拡張の要請では土地買収で多大な労力を要しますが、地域住民で意見をそれなりにまとめられないのか?住民を問題解決の主体者へと変えていきました。
郷田さんは「行政の役割は、住民ニーズに応えるよりも、むしろトレンド(方向・近未来像)を示すことが大切で、豊かな生活の出来る場を、住民自らが作り出すよう自治の心を支援していくことではないでしょうか。と著書『結の心』で述べられています。夜逃げの町が年間120万人が訪れる町へ・・・綾町の奇跡は示していると思います。財政難身動きが取れないとほとんどの自治体は、住民ニーズに応えるためと合併をしていきましたが、24年間の郷田町政を継承した綾町は合併をしない道を選択しました。












