2018スペシャル 「未来の主役〜地球の子どもたち〜知ってほしい!私たちのこと」

番組内容

生まれもって身体に障がいを持つ子供たちがいます。 五体満足で生活している私たちには、なかなか知ることが無いと思います。健常者の子どもたちであろうと、障がいを持つ子どもたちであろうと“夢"を持つこと、“夢"に向かって頑張ることに違いはありません。様々な障がい者がいることを知ってもらい理解してもらおうと、行動に出た人たちがいます。
社会から逃げるのではなく知ってもらうことで、子どもたちが“夢"に向かって頑張る姿を厳しくも優しく見守る家族の姿を取材しました。“知ってほしい!私たちのこと" をテーマに、普通のことが出来る喜びという“夢"に向かってチャレンジする素晴らしさを紹介します。さらに、過去に放送した子どもたちの中で、努力し自分の夢を叶えた子どもたちの今をドキュメントします。

日本・福岡「生まれてきてくれてありがとう アペール症候群の少女」

日本主人公は、福岡県福岡市に暮らす 村山陽香(むらやまはるか)ちゃん(5歳)。「アペール症候群」という、先天性の難病をもって産まれてきました。アペール症候群は出産時に、手足の指がくっつき、頭が変形しているのが大きな特徴で、5万〜15万人に一人という割合で発症するといわれています。陽香ちゃんは、5歳にして、5回の手術を経験。生後半年で、頭の骨を組み替え、元に戻すという大手術を行い、その後、4回に渡って手足の指を1本1本分離する手術を受けてきました。手足の指は、関節が少なく、長さも短いため、指を曲げることやモノをしっかり掴むことができません。他の園児が普通に出来ることが、陽香ちゃんには難しいことがたくさんあります。
しかし、陽香ちゃんは自分なりの「工夫」をすることで、日常生活を送っています。「工夫」は、時に、大人を驚かすようなものも。ピアノに挑戦し、箸も陽香なりに持てるように頑張っています。今年、陽香ちゃんは、6回目となる手術(指)を行うことになりました。しかし、手術の2日前、不安・恐怖を母親に訴えかけました・・・。番組では、「アペール症候群」という先天性の障がいをもって生まれてきた少女の毎日の小さな挑戦」を追いながら、両親の思いなどを紹介します。

日本・奈良「魔法の手がやってきた 筋電義手の少女」

タイ奈良県生駒市に暮らす 竹田歩叶(ほのか)さん(8歳)には、生れつき左手首の辺りから先がありません。母・緑さんが出産直前に病気にかかったことが原因だったのです。大きなショックを受けた緑さんだったが、夫・孝典さんの支えもあり「泣いていても、この子の手が生えてくる訳じゃない」と思い直し、歩叶さんに明るく接する事を決意しました。そこに救いの手を伸ばしてくれたのが、兵庫県立総合リハビリテーションセンター(神戸市)。ここで“魔法の手"「筋電義手」と出会う事に・・・「筋電義手」は、筋肉から発生する微弱な電気を感知させ思い通り動かすことができるロボット義手。しかし約150万円という価格もあり普及は進んでいません。国の補助金支給も「使いこなせること」が条件となり「使いこなす」ための訓練用には支援制度が無いことも課題だったのです。そこでセンターでは県と協力し、訓練用筋電義手を無償で貸し出す「小児筋電義手バンク」を創設。歩叶さんは貸与第1号として筋電義手を手に入れる事ができました。
訓練を始めて4年。その“魔法の手"は、歩叶さんに大きな変化をもたらします。筋電義手によって「頑張ればできる」という経験が挑戦する勇気をもたらしました。未熟児として生まれた歩叶さんだが、今では元気に成長し、学校のみんなと一緒に「跳び箱」に挑戦したり、「パラリンピック選手を育成する水泳」にも取り組むなど、次々といろいろな事に挑戦しています。そんな歩叶さんの頑張りや、厳しくも優しく接する家族の姿を紹介します。

日本・福岡「日本舞踊の先生になりたい」

日本5年前の2013年に番組で紹介した濱口倖歩(ゆきほ)さん(当時11)は、小学校の校庭を元気に走り回っていました。そんな活発な倖歩さんが 夢中になっていたのが、まるで対照的で扇子の持ち方ひとつとっても「美」が追求される日本舞踊 の世界でした。この「動」と「静」を倖歩さんはまるで楽しんでいるかのように稽古していました。将来の夢は踊りの先生になって教室を開く事だと言い切った倖歩さんの現在は…中学生で日本舞踊の名取となり、可愛い子供達を熱心に指導していました。
喜びも、悲しみも、苦しい事も楽しい事も、全部踊りの糧として2016年 胡蝶流名取 【胡蝶 蘭宴】(こちょう らんえん)の許状を戴いたのです。2017年から、新日本舞踊 胡蝶流福岡こども舞踊の指導者として活躍していました。

グアテマラ「日本の伝統文化 折り紙を母国で広めたい」

日本2008年、番組では中南米グアテマラに住むオットー・ベンハミン君(当時14)を紹介しました。オットー君の夢は「グアテマラに“折り紙"を広めていくこと」(当時)。父親は大学教授で日本の伝統文化“折り紙"を取り入れた数学の講義を行っていました。父親の影響を受け、“折り紙“に興味を持っていたオットー君。
取材から約10年・・・今、オットー君は、夢を実現して福祉施設や学校など、いろいろなところで“折り紙"を教えていました。「オットー君親子」はこれまで、グアテマラ国内で900を超える小中学校や病院、孤児院などで“折り紙"の効果を伝え、グアテマラでも有名になっていました。実は、オットー家は、オットー君の祖母の時代から、グアテマラで“折り紙"に関わる活動を行っていました。日本が大好きだった「祖母」が、父親に折り紙を教えたのです。日本から約1万キロ離れた中南米のグアテマラで、3世代、50年以上に渡り日本の伝統文化“折り紙"が脈々と受け継がれていました。