いま明かされる、さだまさし若き日の苦悩―
“父親以上”と慕う恩人の足跡と、
十七音の句に秘められた思いをたどる旅。
さだまさしの歌の原点がここにある。
「防人の詩」「関白宣言」「無縁坂」「精霊流し」…
数々のヒット曲、輝かしいキャリアの陰で、
今も「もがきあがき続けている」という孤高のシンガーソングライター・さだまさし。
「あの時、健吉さんが支えてくれなければ、
多分ここまで長く歌ってこなかった」
知られざる“どん底時代”のさだを救った恩人、
文芸評論家・ 山本健吉のメッセージとは?
そして、健吉最初の妻・石橋秀野が残した壮絶な句が、
69歳のさだの現在(いま)と静かに共鳴する。
美しい名曲にのせ、歌手・さだまさしの「原点への旅」がいま始まる−。
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ナビゲーター・旅人 さだまさし
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ナレーター 岩崎宏美
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Chapter1さだまさし、福岡県八女市へ−
旅の始まりは、2021年3月、福岡県八女市で開かれたコンサート。文芸評論家・山本健吉の33回忌に響くさだの歌声。それは健吉への限りない感謝と友情のあかしだ。
親子以上に歳の離れた文人との意外な交流は、さだ自身が「どん底だった」と語る40年前に始まった… -
Chapter2若き日の絶望、
そして運命の出会い当時、新進気鋭のシンガーソングライターとしてすでに名を馳せていたさだまさし。だが、ある映画主題歌の大ヒットをきっかけに、いわれなきバッシングの渦中に…。傷心と絶望のなかで出会った人物、それが当時73歳の山本健吉だった。
「君の『防人の詩』はいいね。あの歌は昭和文学史に残るよ」 -
Chapter3失われたいのちを歌え…
健吉のメッセージ「君はもういなくなってしまった大切な人を歌うことに長けている。それは“挽歌”といって日本の詩歌の大切な伝統なんだ。だから君はそれを続けなさい」…その言葉を大きな心の支えに、「大切ないのち」を自らの作品に刻んできたさだまさし。2019年、アフガニスタンで凶弾に倒れた中村哲医師に捧げた『ひと粒の麦-Moment-』もその一つだ。
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Chapter4健吉、そして幻の俳人・石橋秀野
ところは八女市。健吉の一人娘・安見さんとともに、健吉の句碑の前に立つさだ。その横に寄り添うように建てられたもう一つの碑には、俳人・石橋秀野の辞世の句が。
「蝉時雨 児は擔送車に 追ひつけず」
秀野は、健吉の最初の妻であり、安見さんの実の母。さだがこの10年、最も関心を寄せる人物だ。 -
Chapter5十七音に込められた
「母の思い」と「俳人の覚悟」38歳の若さでこの世を去った秀野は、死の間際、ストレッチャーで運ばれる自分に追いすがる娘・安見さんの姿を詠んだという。この辞世の句には、愛娘を思う母の愛が、命の切なさが凝縮されているとさだは語る。
「こんな凄い歌は僕には書けない。一生かかっても書けない」 -
Chapter6失われたいのちを歌え
歌手・さだまさしの現在地「父親以上」と慕う文芸評論家・山本健吉と幻の俳人・石橋秀野。ふたりの足跡をたどることで、その人生の凄み・覚悟を再認識したというさだ。
歌手としての自らの人生を振り返り、コンサートで熱唱する。