戦後80年 地元の小学生が八幡大空襲を学ぶ

2025/06/16 (月) 00:00

2025年は終戦80年の節目です。北九州市で大きな被害が出た4度に渡る「八幡空襲」の記憶を風化させまいと、小学生を集めた平和学習が行なわれました。

この取り組みは、八幡東区内12の市民センターが共同で行なうものです。このうち八幡大谷市民センターには、平和学習に合わせ八幡空襲関連の写真90枚が集められました。こちらは、防空壕に逃げ込んだものの焼夷弾による熱と煙で亡くなった人たちの写真。この防空壕だけで300人が犠牲となりました。

またこちらは、空襲・戦災を記録する会の貴重な映像資料。アメリカ軍のB29爆撃機の基地が中国四川省で造られている様子などがわかります。終戦間際、1945年8月8日の朝に発生した八幡大空襲では、現在の八幡東区から八幡西区にかけて、アメリカ軍の爆撃を受け、約2500人の死傷者が出ました。

女子児童
「自分の住んでいる八幡の街で、こういうことが起きたことは信じられないくらい怖いと思った」

男子児童
「戦争が2度と起きないように願っています」

こちらは八幡西区に住む河原香照さん85歳です。6歳の時に八幡大空襲を経験した河原さんは、戦争の恐ろしさを伝える語り部の活動を続けています。

河原 香照さん
「B29のゴーゴーという爆音が鳴り響いて、それからガーンガーンって、ドラム管が空から落ちてきたような音があちらこちらからして、近所の人はもうなんか叫びながら走り回って、騒然としてました」

母親と1歳の妹と一緒に避難した河原さん。幸い命は助かりましたが街は焼け野原でした。

八幡大空襲を体験 河原 香照さん
「もう全部焼けて、残ってるのはコンクリートで来た小さな屋根とか柱とか、それから石垣とか、そんなもんしか残ってない。この焼け跡にそれは無残な八幡市民の焼死体が、もういっぱい散らばっていた」

脳裏に焼き付いた悲惨な戦争体験。河原さんは「二度と繰り返してはならない」と、強く願っています。

八幡大空襲を体験 河原香照さん
「絶対戦争はしちゃいかんです。戦争は命を国民の命を脅かすだけ国民全体を不幸にします。ほんとに絶対したらいかんです」

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