【記憶でつなぐ戦後80年】体験者の話を後世に伝える「命の紙芝居」

2025/08/20 (水) 16:30

松井小百合さん(70)
「たくさんの方々が亡くなった。その無念さ」

涙ながらに戦争の悲惨さを伝える女性。大牟田市で化粧品店を営む松井小百合さ(70)です。あるものを見せてくれました。

「これは戦争や空襲をくぐり抜けた人たちの証言をもとにつくった命の紙芝居です」

松井さんが17年前に始めたのは、戦争体験者から聞き取った証言をもとに紙芝居を作り後世に語り継ぐ活動です。この日、訪れたのは大牟田市の幼稚園。夏休み中の小学生や園児に紙芝居を披露します。作品は戦時中のきょうだいの物語。同年代の少年・少女が経験した話を子どもたちは真剣に聞きました。

児童
「ひいおばあちゃんもこんな思いをしたんだなと感じました」
「人が理由もなく死ぬのはいやです。戦争は起きてほしくないです」

光の子幼稚園 浦元美さん
「聞くこと見ることが自分の体験になっていきます。紙芝居なので親しみやすいです。目にも焼き付きます」

趣味の葦ペン画で描いた紙芝居を通じ戦争の記憶をつなぐ松井さん。なぜ、戦後生まれの彼女がこの活動を始めたのでしょうか?

松井小百合さん
「これが第一作目の「特攻隊」という話です。これが私が(命の紙芝居)に着手するきっかけになった父の話です」

きっかけは父・松男さんです。戦争について語ろうとしなかった松男さんは、80歳を過ぎて認知症を患ってから戦争の話を繰り返しました。

「父が認知症を患っているからこの話もそのうち語れなくなります。それを焦って私に話しているような気がしました」

終戦間際。特攻に旅立つ仲間を見送る松男さん。やがて自身も特攻隊への召集を命じる「赤紙」を受け取ります。「次は自分が命をささげる番だ」そう心に誓いましたが終戦を迎えました。「なぜ自分だけが生き延びたのか」父が自責の念に駆られていたのでは。松井さんがそう感じたのは、父の仲間が眠る慰霊碑を訪れたときのこと。

「最終的に右手を目頭に当てて号泣しました。大正生まれの怖い父だったので弱々しい姿を見たことがありませんでした。こんなに辛かったんだなと思いました」

紙芝居を披露するうちに思いがけない展開が。私の体験も紙芝居にしてほしいと連絡が来るようになったのです。地元の人を中心に証言を集め約15年で30作品をつくり上げました。ただこれ以上増えることはないといいます。

「(戦争体験者が)病気・認知症になるともう細かいことは聞き出せないです。それは致し方ないことです」

今月7日、大牟田市藤田町で開かれた慰霊祭。松井さんは毎年この日に代表作「とんぼ」を披露しています。

「あ!とんぼの集団だ。弟の秋雄が空を指さして叫んだ。それはトンボじゃなくてアメリカの飛行機だった」

工業の街として栄えていた大牟田はアメリカ軍の標的になり、5度にわたる空襲で1300もの命が奪われました。8月7日には藤田町に日本軍が撃墜した爆撃機が墜落して100人以上が犠牲に。「とんぼ」はこのとき弟を失った男性の体験をつづった話です。

「裸同然の人たちが髪の毛を前に垂らしうわごとを言いながらうろうろさまよっている。ここはまるで地獄のようだ」

毎年、地元の中学生が松井さんの紙芝居を読んでいます。

生徒
「普通に生まれてきた人たちが普通に生活できない世の中になってはいけないと心から思う」

2025年も4人が思いを込め読み上げました。

「みんなに伝わってほしいという強い思いで読みました。練習をしていく中でやっぱりこれは伝えていかなければならないと思いました」
「身近で死んでいた人がたくさんいて自分の立場に置き換えたときに絶望という言葉では済まされないです。そういった悲劇が繰返されないといいです」

生徒の姿を見た松井さんは。

松井小百合さん
「大人になって頑張って取り組んだ記憶を忘れないようにしてほしいです。小さな取り組みが平和、命の大切さにつながると私は信じています。頑張ってください」

体験者の話を紙芝居に、それを令和の子どもたちに。戦争の記憶を継承する確かな形がここにありました。

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