【記憶でつなぐ戦後80年】終戦の日 玉音放送を聞いた人の思い

2025/08/15 (金) 16:30

北九州市小倉南区に住む仲秀作さん88歳です。当時8歳の仲さんは、終戦の日、ラジオがある近所の家に行ったそうです。

小倉南区在住 仲秀作さん(88)
「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」という昭和天皇の声(が聞こえた)。日本は負けたというので、おばちゃんたちは、おいおいと声を出して泣いていた。何が起こったのかっていうのは、正直われわれ子どもには(分からなかった)。

当時は、三重県尾鷲市に住んでいた仲さん。平地が少ない地形のため、爆撃はほとんどなかったそうですが、B29の姿をよく見ていたそうです。

小倉南区在住 仲秀作さん(88)
「サイパンやグアムが占領されてからB29が飛んでくるわけです。尾鷲の上空で名
古屋方面とか大阪方面にこう分かれるんです。それで、ラジオが空襲警報が『ただいま尾鷲上空を旋回中』と言う。あれはしょっちゅう、毎日のように(流れていた)」

仲さんの兄・福夫さん。フィリピンで戦死しましたが、遺骨や遺品は返ってきていません。戦争に対する思いは・・

Q.戦争は再びしない
小倉南区在住 仲秀作さん(88)
「絶対やっちゃいかんです、あんなものは」

福岡市東区に住む青木道雄さん。中学2年生の時に終戦を迎えました。

福岡市東区在住 青木道雄さん(94)
「昼に終戦の詔書が読まれるラジオがピーピーガーガーいいながらね。まだ50代ぐらいの人たちは、泣く人もいましたけどね。私たちはね戦争が終わったってことで、ホッとしましたね」

終戦間際、北九州市での八幡大空襲を体験した青木さん。大学で美術の教鞭も取った、絵を描く腕を生かし、後世に残そうと空襲の地獄絵を描きました。

福岡市東区在住 青木道雄さん(94)
「今、若い人たちに伝えたいのは、バスが町をゆっくり通っている。みんなが買い物して、のんびり町を歩いている。働けば買えるだけの品物がどこにもある。こんな一つ一つがね、みんな平和であるから幸せなんですよね。それを味わっていただきたいです」

戦争を体験した世代の平和の大切さをかみしめる言葉。私たちは今、過去を振り返りながら、未来への道筋を探っています。

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