八幡大空襲を体験した元教師 悲惨さを初めて絵筆で残す

2025/08/08 (金) 16:30

太平洋戦争の終戦間際に2500人もの死傷者を出した八幡大空襲から8月8日で80年。大きな被害が出た北九州市八幡東区で慰霊祭が行われました。そしてこの慰霊祭に特別な思いで臨む元教師の男性を取材しました。

1945年8月8日。アメリカのB29爆撃機による大空襲で、八幡東区から八幡西区にかけた地域は壊滅的な被害を受け、1800人が死亡、700人が負傷しました。8月8日の慰霊祭はこの空襲を語り継ぐ活動をするボランティア団体などが主催。会場は八幡東区にある小伊藤山公園です。ここには巨大な防空壕があったのですが爆撃によって入り口が崩落し、逃げ込んでいた300人が犠牲になったといいます。こちらは参列者の一人で中学生の頃に空襲を経験した青木道雄さん92歳です。長年、八幡大空襲の語り部として活動してきました。もともと小学校の教師で子どもたちに絵画を教えていて、退職後は大学講師として絵の指導をしていました。80年の節目に合わせ青木さんはこの夏、新たな試みを行います。それは、脳裏に残る戦争の記憶を絵画にして残す取り組みです。

八幡大空襲で被災 青木道雄さん
「中学2年生で見たその時の無残な姿を直接訴えてみせようと、そういうつもりでね。嫌な題材ですけどもね。私は今年は思い切って描きました」

描いたのは空襲で亡くなった多くの人たちが運ばれた小学校の惨状です。それは、思わず目を背けたくなる光景。死亡が確認された人は、校庭に山積みにされています。その数200人以上。遺体はトラックの荷台に積み込まれ火葬場に運ばれました。さらに悲惨なのは、教室の中でした。

「大やけどでも息がある人はこの建物の中に並べられていく、置かれていくんですよ。医者はいません。看護する人も1人もいません。水もありません。包帯もありません。なんもない。ただ置かれるだけです。生きておるから置かれておるだけです」

2枚の絵を2カ月かけて完成させた青木さんが訴えたいことは。

「無意味な争いになる戦争をしないように、せめてこういう無残だったことを記憶に留めていただいて、戦争はむごいということを知っていただきたい」

8月8日の慰霊祭、戦争の記憶を風化させまいと青木さんの絵は参列者の前で公開されました。この絵を見た人は。

慰霊祭参加者
「やけどを負った人があふれていて、やけども一部ではなくて全身。改めて戦争の悲惨さが伝わった」
「二度と繰り返してはいけない」
「(戦争の記憶を)少しでも思い起こして、子どもたちに話をしていきたい」

時はたち、社会から徐々に消えゆく80年前の記憶。それでも、次の世代に戦争の悲惨さを伝えようと行動する人たちがいます。

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