【記憶でつなぐ戦後80年】久留米空襲 体験者と若い世代が語り継ぐ

2025/08/14 (木) 16:30

連続企画、「記憶でつなぐ戦後80年」です。終戦間際にあった「久留米空襲」では200人以上が犠牲となりました。その惨劇を題材にした舞台が8月13日に久留米市で始まりました。そして、この舞台を特別な思いで見つめる女性がいました。

劇中
「バンザイ」
「北村修三、行って参ります」

久留米空襲を題材にした演劇、「青色と灰色の境界線」。8月13日は夜の本公演を前にしたリハーサルが関係者に公開されました。この舞台は、2023年に1回目の公演があり、戦後80年の2025年、一部新たなキャストも迎えて2度目の公演が決まりました。舞台を企画した入部さんです。

舞台を企画 入部亜佳子さん
「私も久留米市にずっと住んでいるが、久留米空襲を知らなかったというのがきっかけです。長崎や広島(の原爆)は授業で知って情報はいっぱいありました。久留米空襲が終戦間近に起きたというのを知った時はすごい衝撃的でしたが、周りに言ったらみんな知りませんでした。そこで地元のことを伝えて知ってもらおうと始めました」

演じるのはオーディションで選ばれた9歳から76歳までの19人、久留米市やその周辺に住む人たちです。劇は久留米空襲を体験した人の話をもとに描かれています。1945年8月11日、久留米市上空で米軍機が20分以上にわたり焼夷弾を投下。その数は636発とされます。

劇中
「何あれ」
「火が降ってきよる」
「みんな、伏せろ」
「何これ爆弾?」
「違う、爆弾ならもっとドカーンっちなるはずやん。ともかくここは危険ばい。はよ防空壕に行こう」

久留米の街は焦土と化し、214人が犠牲となり4506軒の住宅が焼失したとされています。

劇中
「また来た、こっちだ。くそ、囲われた…。どうした」
「息が苦しい」
「八恵しっかりしろ、八恵!逃げて」

この舞台を特別な思いで見つめる人がいました。坂井幸子さん(93)です。坂井さんは当時13歳で久留米空襲を体験しました。

坂井幸子さん(93)
「大雨の降るような音がしました。爆弾を落とすときの音でした。ばらまくように焼夷弾が落ちてきました。11秒で発火し、とにかく炎が燃え上がりました」

火の海の中、焼けただれた人が担架で運ばれるのを目にした坂井さん、当時の様子を「地獄」と表現します。

「見たらかわいそうで、二度と怖くて見られませんでした。どんどん運んでいく、私たちも必死で走りました。息が切れそうでした。後ろの方では小学生の子供たちが両親と一緒に走っていたが怖くてわんわん泣いたり叫んで走っていました。そのときの状況は地獄絵を見るようでした」

当時の記憶が鮮明に残っているという坂井さんは、93歳の今も語り部として市内各地で活動しています。7月には役者たちに空襲の体験を語りました。

「男性が焼夷弾の直撃を受けて、即死状態だったというのが翌日分かりました。なくなった男性もかわいそうでしたが、残された奥さんと子どもも嘆き悲しんでいました」

舞台に出演した人
「(戦争が)遠い存在に感じていて、実際にあったことなんだと思うと、演劇に対する役への入り方に力が入りました」

「青色と灰色の境界線」は久留米シティプラザで、8月14日の夜、そして終戦記念日の8月15日の昼にも上演されます。

「実際にあったことを伝えるだけではなく、普段当たり前に感じていることも実は当たり前ではなく、貴重でありがたいことだと伝えたいです」
「僕が舞台をする前に久留米空襲を知らなかったように、公演を見に来てくれる人たちが1人でも多く久留米空襲について考えてくれるような作品にしたいです」

自らが体験した空襲を描いた舞台。見終えた坂井さんは。

坂井幸子さん(93)
「いろいろ想像しながら自分なりに見ていました。忘れてはいけない戦争のことは、ずっと継続して語り継いでいくことが大事です」

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