福岡大空襲から81年 語り部が減る今 あの日7歳だった男性が語ったこととは

2026/06/19 (金) 16:30

福岡大空襲を体験した人が徐々に減る中、記憶をつなぐ活動が続いています。あの日、7歳だった男性が今、子どもたちに語ったことは。

福岡大空襲を語り継ぐ会 高橋英人代表(88)
「父が兵隊に行って自分としては非常に辛い経験です」

福岡市西区の小学校で自身の体験を伝えるのは、高橋英人さん(88)です。

「『高橋の家が燃えよるぞ』と町のリーダーの人に言われました。防空壕に入っていたから見ていません。ドカンという音や落ちていくヒュルヒュルという音がしました」

空襲当時、7歳だった高橋さん。福岡市中央区荒戸で祖父や母親、2人のきょうだいと暮らしていました。終戦まで2カ月の81年前の6月19日。大空襲を受け、高橋さんは家族と自宅から近い大濠公園に逃げました。

「弟の手をしっかり引っ張って、親の後をはぐれないように。初めて後ろを見たら違った男の子の手を一生懸命引いていました。自分の弟を見失うというハプニングがあった」

その後弟とは再会できましたが、アメリカ軍の爆撃機が投下する焼夷弾で周囲の住宅は次々に炎上。炎から逃れようと多くの人が公園に押し寄せました。その様子は、地獄絵図だったといいます。

『死んで浮いているのか浸かっているのか分からないくらい池の中は人がいっぱいでした。3〜4人くらいの黒焦げの死体がありました。非常にショックで、親も「見るな」と手を引っ張って離した。トラウマになって(大濠公園を)長い間通ることができませんでした』

高橋さんは中学校の教員になり、子どもに平和の尊さを伝える活動に取り組みます。退職後は語り部の他、投下された焼夷弾や戦時中の教科書などを展示する「資料展」の運営に携わり、81年前の記憶を次の世代につないでいます。

「戦争の恐ろしさ、ノーと言えない時世になってしまえばこういう風な状態になってしまいます。戦争があっていた時に生まれ育った人は私を含めて3人です。今大事な時期にきています」

児童
「爆弾が落ちてきたりいろいろな所が焼野原になったり、本当に怖いと思いました」
「今も世界で戦争が起こっているからいつかみんなが仲良くなって平和になったらいい」

体力の衰えを感じ、高橋さんは今この「語り部」を長くは続けられないと感じています。

福岡大空襲を語り継ぐ会 高橋英人代表(88)
「体験話を言える人は亡くなっていくが、聞いたり見たりして、それを自分のもののような状態にして、語り継ぐ。自分としては活動ができる体ではないので、願うばかりです」

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